彫刻

 
江戸時代後期、嘉永元年(1848年)造営の拝殿各所に施された彫り物は、
石原常八主信、渡辺喜平次源宗信らによるものです。
特に、石原常八は左甚五郎の流れを汲み、龍に定評があり、龍の彫り物で
右に出るものはないとまで称された名工です
目貫龍
目貫(めぬき)龍は、向拝(こうはい:お参りするために拝殿正面に突き出た部分)を支える
二本の柱をつなぐ貫の間にあり、正面の鈴の辺りに見ることができます。
親子の龍が彫られており、古くから子育ての神様としても信仰されてきたことがうかがえます。

龍体丸彫り虹梁
拝殿の向拝の側面に見える龍です。龍の体が一本の木材から彫り抜いて表現されています。
これは海老虹梁(えびこうりょう)と呼ばれる部材です。
虹梁とは、梁(はり)の一種で虹形に反ったもののこといい、屋根の荷重を受け、母屋とひさしを
つなぐ役目をします。海老虹梁は、それが海老のようにさらに反った形をしています。
荷重に耐え得る強度を保ち、本来の役割を果たしながらも、それ自体が一つの彫刻物として
形の美しさを求められた、まさに熟練した職人にしかなし得ない名人の技といえるでしょう。

手挟み
 手挟み(たばさみ)とは、社殿から張り出した向拝(こうはい)の柱と、勾配のある垂木(たるき:屋根を支える
ために棟から軒先に渡された長い木材)や虹梁(こうりょう:虹型に反った梁)との間などに挟み入れて、
おさまりをよくする板のことで、拝殿向拝側面より見ることができます。
 カゴのように内部を透かし、立体的に彫り上げる「篭彫り(かごぼり)」と呼ばれる技法によって、松の木
に鷲と猿が彫られています。